2006年02月08日

言論の自由

デンマークの新聞が、
イスラム教を風刺するマンガを掲載し、
ノルウェーがそれに続き、
ヨーロッパ諸国も、
言論の自由を主張するために、
さらに風刺漫画を追加してまで掲載し、
それに対してイスラム教信者の人たちが怒っているそうです。

私は、
日々の糧を得られることを、
神様より親に感謝します。
ただ、
困ったときには神を崇拝するけど、
何の神様かよく分からないまま祈っているし、
っていうか、実際何の神様でもいいし、
宗教を本当に心から信仰している人からすると、
信じられないであろう日本人ですが、
その日本人から言わせてもらうと、
なんかおかしな事件だなぁ、
と思います。

「本当は彼氏の家泊まりに行くんだけど、
 親には友達と遊ぶって言っとこう。」
みたいな、
実際のことを言っても、
明らかに結果が分かっている場合は、
お茶を濁すものです。

まぁ例は悪いけど、
少なからずそうやって生きている人も多いと思うのに、
なんで、
そんな、
結果の分かりきったようなことを、
わざわざするのか私には理解できません。

そもそも、
宗教の自由と言論の自由を、
同じ天秤にのせることは不可能だと思います。

私が甘いのかもしれません。
言論の自由について、
そんな深く考えたこともないですし。
「自由」=「何でもあり」
ではないと思いはしますが。

『NANA』でも、
シンちゃんが言ってます。

「争いを避ける事がお気楽だとは僕は思わない。」

私も同感。

でも、
その後のヤスの言葉にも納得してしまう。

「そうだな。自分の欲望との闘いだもんな。」

言論の自由とかかっこいいこと言っときながら、
実は欲望が生み出してしまったことなのかもしれない。
宗教を信仰するのも、
深いところに欲望があるからなのかもしれない。

人の欲望は尽きることがない。
posted by JJJ at 09:30| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まぁねー。
あたしはこんな風に難しいことを言うつもりもないし、
信仰深いわけでもないから、
キリスト教徒とイスラム教徒の話に加わるのも間違いなのかもしれないけど、
とにかく優しさが足りないんじゃないのかと思う。
すっごく甘いこと言ってるんだろうけれど。
世間の多くの人がその記事を目にするってわかっていて、このような記事を書く人というのは、記者としての自覚がなさすぎると思う。
また影響を知っていてしているのなら、全うに暮らしているイスラム教徒に対する侮辱だとしか考えられない。
Posted by at 2006年02月09日 14:52
>KAZU
「言論の自由」という概念ができた背景を考えると、
なんか、現代の実生活に当てはめるのは間違ってる気がする。
もちろん、当てはまる状況もあるんだろうけど、
気の合わないやつに対して「ウザイ」って言うのは、言論でも何でもないし。

『親しき仲にも礼儀あり』
素晴らしい格言。


>?さん
コメントくださってありがとうございます。
どなたでしょうか?

優しさとか思いやりは、
生きていくうえで必要不可欠なものだと思います。
全然甘いこと言ってないと思います。

この事件であたしが行き着いた最終的結論は、
「NANAってスゴイ☆」

全く信仰心のない私の結論。
Posted by JJJ at 2006年02月10日 03:41
言論の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
言論の自由(げんろんのじゆう)は自由権の一種で、検閲を受けることなく自身の思想・信条を表明する自由を指す。表現の自由の根幹をなすと考えられ、今日では国際人権法で保護され世界人権宣言の19条にも規定されているものの、多くの国で保障されるには至っていない。

哲学者のアレクシス・ド・トクヴィルは19世紀初頭のアメリカで人々が政府による報復への恐怖からではなく、社会的圧力のために自由に話すのをためらうのを観測した。個人が不人気な意見を発表するとき、その人は彼の共同体からの軽蔑に直面するか、または乱暴な反応をうけるかもしれない。このタイプの言論の抑圧を防ぐことは政府からの抑圧を防ぐよりさらに難しい。通常市民的自由或は政府の規制からの自由と見なされる言論の自由が、本当に周囲の反応により低下するかどうかに関しては疑問が持たれている。

権力に対する言論の自由は、権力を監視する意味合いがあり、もし制約があれば民主主義とは言えない。個人に対する言論の自由は、もし濫用したら名誉毀損罪・侮辱罪に抵触する恐れがあり、充分に注意して行使しなければならない。

言論の自由で、大きな力を発揮してきたのはマスメディアの報道の自由である。政府から独立したマスメディアが言論の自由を利用してこそ、ウォーターゲート事件の様な事例を暴露し、場合によっては大統領を辞任に追い込むことも出来る。しかし世界各地でメディア支配により法規定が存在しても言論の自由が実質的に制限を受けている例もみられる。アジア・アフリカ諸国の多くでは法的保障すらない場合も多く、例えばシンガポールでは、首相の政策を批判することが首相に対する名誉毀損罪に問われる。そうした社会体制そのものを批判したら、治安紊乱のかどで無期限に収監されることになる。

一方でマスコミによってしばしば行なわれる私人の醜聞の暴露・宮内庁による「代表取材」の要求や「写真お貸し下げ」を無批判に受け入れる行為は、言論の自由を自滅させる行為であるとする強い批判もある。

Posted by at 2006年02月10日 10:12
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